ウリクロウと焚き木

12月に入り、めっきり寒くなってきましたね、あの衝撃的なウリクロウ(イノシシ)の襲撃事件、2019.10.20から約2ヶ月、過去のブログでも報告していますが、防護ネット建て直しの後、新たに「ほうれん草」「サラダ菜」を種蒔きして育てています、戦々恐々としていますが今のところ ウリクロウ侵入の気配もなく平和な毎日が続いています。畑にそれぞれ一畝づつ作っていますが、かなり芽が密集していきたので間引きをします。

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外に出ると急に寒さを感じたので庭で焚き火をしたいと思います。

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ブリキのバケツを焚き木の受け皿として利用しています、いろんな廃材を細分化して集めてコンテナで乾燥置きしていたものがありましたので、それを焚き木に使います、これは電気が止まった時に外でお米が炊けるよう、またその他緊急用に使えるように備蓄している面もあるのですが、思わず焚き木として手にとってしまいました。

まず、種火からですが、これはいらなくなった古新聞紙を一枚ずつ丸めたものを2,3個、バケツの中へ入れます。

100均のお店から買ってきたライターの点火部が長く伸びたヤツで丸めた新聞紙に火をつけます。

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燃えてきたら、焚き木を手頃なヤツを3本ほど入れます。冬場で乾燥しているのと新聞紙なので火のまわりが早いです、10分ほどで焚き木にも点火してきました。

やはり暖かいです、この火を扱うのは人類発祥以来、見続けてきたDNAが人間に宿っているのでしょうか、火を見ると何故か落ち着く気になるのは気のせい?、燃えさかる木々を何気に見つめてしまいます。

でもこれも非常事態になってしまって電気が来なくなって暖を取るとしたらこんな感じになりますよね、水もそうですけど(過去のブログで「湧き水ライフ」を参照ください)災害になったら田舎の方は強いのかも知れません。

それで裏山にはいくつか木々が生えていて、内スッキリさせるために幹だけの状態に剪定していたのがありますが、これを今回大胆に切って焚き木として使用したいと思います。

まず木々にも精霊などが宿っているとか言われるので(あくまでも私個人の見解ですので信じる信じないはお任せします)まず、切る前にその木に向かって断りの文言を言います(ざくっと内容的には木を根元から切らせて頂きます、永い間ありがとうございました。という風に)

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その後 一礼してノコギリで切りに入ります。

木の種類は分かりませんが、永い間裏山で育っていた木です。

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ただ、垣根の端に生えているので倒れ方によっては向こう側の谷へ落ち込んでしまうと大変なので上の方へロープを引っ張り、手前へ落とすようにします。

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切込みが残す所あと2cmぐらいの所で止め、ロープを引きながら手前に落としていきます、何とか引き込めました。

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幹の長さは120cmぐらいでしょうか、表の庭へ移動させます。

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斧で小枝の部分を刈っていきます。

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枝部と幹を分離させました。

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次に幹を3等分に切ります、これはノコギリで切ります。

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今度は大き目のナタで縦に裂いていきます。

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これをまた細かくして焚き木としての手頃な大きさにし、コンテナに入れ乾燥させます。

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そういえば昔、電化されていなかった頃、家には「五右衛門風呂」といって人間が一人入れるぐらいの大きな釜みたいなのがあってその下が「かまど」みたいになっていて、そこへ焚き木を入れて燃やして水のはった釜、いわゆる五右衛門風呂を沸かす、底には足が火傷しないようスノコが置かれ、お湯が熱い場合は水で埋めて調整する、、といった生活をしていました。

今でも地方へ行くと田舎生活を堪能してもらうために、こういった五右衛門風呂が逆に施設として設置されている所がありますよね、こういうのを露天で体験できることは都会では決して味わえない、ある意味贅沢な時間だと私は思うわけであります。

食生活もしかり、お米を炊くにも、作物を焼くのも、鍋を煮込むのも電化の無い場合は水があれば、焚き木を使って調理ができるということです。

もし、災害が起こってライフラインが断たれるようなことがあれば、山の湧き水と焚き木が活躍するのは十分想像がつくことでしょう。(ただ火を起こすのはマッチやライターが無いと厳しいかな、、)

五右衛門風呂実現はなかなか難しいですが、野外で焚き木をくべて、裏庭の育った野菜、今でしたら ほうれん草、サラダ菜でしょうか、醤油、塩、味噌などを使って鍋でも作ってみたいと思います。ただ、その前にウリクロウに襲われなければですが、、

「便利は不便」と誰かが言っていましたが、時代は電化社会の進歩が激しいです、我々はそれに恩恵を受けているのも確かですし、それなりに豊かになっています。それと同時に引き換えに失っているものもあるようで、時には取り戻さなければいけないものなのかも知れません。

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